とめられないとまらない「仮面の男」
2011年9月4日 演劇エッセイで、「どうして多くのお金を費やした映画が駄作だったりするのか」
という問いに対して「映画製作の現場というのはあまりにも多くの
人、物、金が費やされるためにマズいと分かった時に引き返せないから」
という回答を読んだことがあるのです。
宝塚歌劇もそうなんだろうなあ…。
私の宝塚観劇暦は浅く、初観劇からまだ2年目です。
内容はほぼ雪組で、東京公演を1回観ただけ、という作品が大半です。
なので、贔屓の組の駄作公演に耐性がついていません。
と、いうことを知ることができた公演でした。「仮面の男」。
こうして皆ヅカオタとして階段を上がっていくものなのですね。しみじみ。
しかし、観劇暦が20年以上の方でさえ「最初で最後」「すごい作品」と言っていた。
もしかして私はすごい段を踏んだのじゃないか。
「サムい」のはまだ、いい。
「人間的センスが欠落している」というのは、救いがたい。
私の心に地雷センセーとして、きっちり刻ませていただいた。
雪組ファンで、悲しんでいる人が居たら一緒に悲しみたいです。
そして、普段雪組を観ない人が今公演を観てしまったらと思うとゾっとする。
以下、どれだけ書こうが書き足りない、不愉快な点について。
「早分かり世界史」のナンバーを聞いても、時代背景が全然分からない。
わざわざ「今から始まる舞台のちょっと後の時代の有名人」
「ちょっと前の時代の有名人」を出すから、わけがわからなくなる。
日本での同時代の人物、水戸黄門は出すのに
ヨーロッパ諸国の同時代の人物は出さない。
客席に向かせて、「一同、頭が高い」って言わせるのさえカチンときた。
それは、咲ちゃん@劇作家で早分かり世界史ナンバーの作者に向かって
言わせればいい。実際頭を下げるのは彼だけだ。
そしてルイ14世の悪趣味ナンバー。
今夜のお相手選びは人間ボーリングまでしているのに画面が全然面白くない。
女好きを表現する方法は、宝塚に山とすてきな蓄積があるだろうに
どうしてあの下品な唇型のソファでやらなくちゃいけなかったのか。
そして、肝心要のルイーズを見初めるシーンの演出はない。
いきなり舞台の扉がすこーんと開いて、みみちゃんが居て、
ソファでさっきまで女を侍らせていた桂さんが「あの娘は?」って言うだけ。
なんだ、それ…。
H2$のパロディがえんえんえんえん長すぎる。前回公演観てる客しか相手にしないの?
そして一番許せない、コマの見せ場であろう監獄のナンバー。
囚人が鞭打たれたときに上げる悲鳴を「オーケストラのようだ」
と陶酔する悪役の図、はままある。
そしてそれは「悪趣味め」という視線が担保されており、絶対にシリアスなナンバーだった。
それをコミカルに、楽しいナンバーにしました!って、信じられなかった。
あれは悪趣味じゃない。趣味の悪い、演出だった。
人の悲鳴をポップに演出するなら、それこそH2$みたいな
毒気前提のミュージカルでなきゃありえない。
客席が一番引いているこの場面で、まじめに弾けるコマが気の毒で涙が出てくる。
本当に観ていて辛い。この場面だけでも退席したいくらい。
脱獄のシーンにしろ、全てのシーンがそうなんだけど
一度何も言わずわけの分からない場面を見せた後で
「これはこういう場面だった」的台詞が入る。
せめて、前に入れてくんないかなあ、という気持ちにさせられる。
視覚で説明できていない舞台って何ぞや。
一大ページェントは、大事な作戦結構場面のわりに笑わせにかかってんの?
貸切公演ではとりあえず、かおりちゃんinミラーボールにお客さん笑ってたけど。
しかも、入り代わり後もかおりちゃん吊り下げられっぱなし。
せめて真ん中ならそういう演出?って思うけど既に端に寄せられている。
母上とのやり取りはすぐ緞帳前にして、すぐ下ろせばいいのでは。
三銃士の馬のシーンといい、海底のシーンといい、
「ふーん、カナダでこういうの観たんだ」って感じだった。
でもどちらの演出も、演出自体がすごい!新しい!とかではなくて
「アイディア」レベルのもの。
入れる必要はないし、馬に乗せなくてもかっこいい出陣の演出の仕方があることを、
とくに宝塚を観る人は皆十分知っている。
海底のシーンは本当に蛇足。なんでコミカルにする必要があったんだろう。
彼らの初心、命を懸けて仕える国王を取り戻すための戦いに赴く途中なのに。
そして、全編通して、要らないシーンに限って進行がもったりしており長い。
仮面の男が終わった段階で、3時間経ったんじゃないかと思えるほど。
監獄のナンバーに象徴される、センスの欠如が本当に辛い公演でした。
でしたっていうか、まだ2日目が終わったばかりですが。
カナダで何を観てきたんだろう…。ああいう演出がカナダの人が受けていたとして、
そのまま日本に持ってくるのは演出家の仕事じゃない。
小池先生がロミジュリ「憎しみ」のナンバーを何故、「もっと憎しみ合え!」から
「もう憎しみ合うのはやめて!」というナンバーにしたのか。
再演ばかりは良くない、縮小再生産は滅びへの道です。
真ん中のジェンヌにしか役や台詞を振れないのはダメだと思っていたけど
・新作オリジナル
・台詞、歌がかなり広範囲のジェンヌに渡って振られている
この2点も満たしていても、作品の根底に流れるセンスに共感できなければ
お芝居は壊れてしまう。
このことがよく分かりました。
ほんと最後の最後に言うけどさ、一人二役にする意味って何だったんだろう。
ルイーズ@みみちゃんはもっと恋人の敵と同じ顔の男に魅かれることに
戸惑いを憶えてほしいとか、あるけど。
それ以前の問題でした。
いいとこ探し。
王は全てお見通しのナンバー。曲もいいし、雪組生揃いっぷりが不気味な圧政下のパリをよく表してた。
全体を通じて、曲の印象は目新しくていいなと思いました。
ラウルの遺書のナンバー。翔ちゃん@ラウル、歌うまくないけど
(でもマチネよりソワレは良かった)、まっつ@アトス兄さんに寄せる
親愛の情が丁寧に伝えられて、いいなあと思った。
理不尽な死を目前にした弟が「身体に気をつけて」「貴方が父であり母だった」なんて、
駆け足で言うのはすごく泣かす。
翔ちゃんの株が上がった。し、きっとまっつの力もあってのことかな。
いい若手の使い方だと思う。
ちぎちゃん@ダルタニアンの真面目なお芝居。コンスタンスとのナンバーを
丁寧に心情を掬って表現してくれたから、最後の戦いが活きた。
キタロウさんとちぎちゃんの絡みは商売になるね!と踏まれたのか分からないけど
二人のシーンはキャラの対比が良かったなあ。
ああジェンヌの個人賞が殆どになってしまう。
ヒメ@ミレディはハマりすぎてておっかないです。
どなたかが言ってた、仮面の男の吹き替え担当のまなはるは
(当然)顔が出ていないのに顔芸がすごい、っていうのに納得して笑った。
間近で観たリサリサの貴婦人がすごく綺麗で、かつ可愛くって感動した。
緑のドレスがよくお似合い。
今後の雪組の課題は「駄作を力づくででも観たいと思わせる作品へと
ブラッシュアップしてしまう勢い・力」が欲しいなってことでしょうか。
外部ならともかく、必要になってしまう力かも。
書いてすっきりできました。
安心のロイヤルストレートフラッシュについては近日中に。
という問いに対して「映画製作の現場というのはあまりにも多くの
人、物、金が費やされるためにマズいと分かった時に引き返せないから」
という回答を読んだことがあるのです。
宝塚歌劇もそうなんだろうなあ…。
私の宝塚観劇暦は浅く、初観劇からまだ2年目です。
内容はほぼ雪組で、東京公演を1回観ただけ、という作品が大半です。
なので、贔屓の組の駄作公演に耐性がついていません。
と、いうことを知ることができた公演でした。「仮面の男」。
こうして皆ヅカオタとして階段を上がっていくものなのですね。しみじみ。
しかし、観劇暦が20年以上の方でさえ「最初で最後」「すごい作品」と言っていた。
もしかして私はすごい段を踏んだのじゃないか。
「サムい」のはまだ、いい。
「人間的センスが欠落している」というのは、救いがたい。
私の心に地雷センセーとして、きっちり刻ませていただいた。
雪組ファンで、悲しんでいる人が居たら一緒に悲しみたいです。
そして、普段雪組を観ない人が今公演を観てしまったらと思うとゾっとする。
以下、どれだけ書こうが書き足りない、不愉快な点について。
「早分かり世界史」のナンバーを聞いても、時代背景が全然分からない。
わざわざ「今から始まる舞台のちょっと後の時代の有名人」
「ちょっと前の時代の有名人」を出すから、わけがわからなくなる。
日本での同時代の人物、水戸黄門は出すのに
ヨーロッパ諸国の同時代の人物は出さない。
客席に向かせて、「一同、頭が高い」って言わせるのさえカチンときた。
それは、咲ちゃん@劇作家で早分かり世界史ナンバーの作者に向かって
言わせればいい。実際頭を下げるのは彼だけだ。
そしてルイ14世の悪趣味ナンバー。
今夜のお相手選びは人間ボーリングまでしているのに画面が全然面白くない。
女好きを表現する方法は、宝塚に山とすてきな蓄積があるだろうに
どうしてあの下品な唇型のソファでやらなくちゃいけなかったのか。
そして、肝心要のルイーズを見初めるシーンの演出はない。
いきなり舞台の扉がすこーんと開いて、みみちゃんが居て、
ソファでさっきまで女を侍らせていた桂さんが「あの娘は?」って言うだけ。
なんだ、それ…。
H2$のパロディがえんえんえんえん長すぎる。前回公演観てる客しか相手にしないの?
そして一番許せない、コマの見せ場であろう監獄のナンバー。
囚人が鞭打たれたときに上げる悲鳴を「オーケストラのようだ」
と陶酔する悪役の図、はままある。
そしてそれは「悪趣味め」という視線が担保されており、絶対にシリアスなナンバーだった。
それをコミカルに、楽しいナンバーにしました!って、信じられなかった。
あれは悪趣味じゃない。趣味の悪い、演出だった。
人の悲鳴をポップに演出するなら、それこそH2$みたいな
毒気前提のミュージカルでなきゃありえない。
客席が一番引いているこの場面で、まじめに弾けるコマが気の毒で涙が出てくる。
本当に観ていて辛い。この場面だけでも退席したいくらい。
脱獄のシーンにしろ、全てのシーンがそうなんだけど
一度何も言わずわけの分からない場面を見せた後で
「これはこういう場面だった」的台詞が入る。
せめて、前に入れてくんないかなあ、という気持ちにさせられる。
視覚で説明できていない舞台って何ぞや。
一大ページェントは、大事な作戦結構場面のわりに笑わせにかかってんの?
貸切公演ではとりあえず、かおりちゃんinミラーボールにお客さん笑ってたけど。
しかも、入り代わり後もかおりちゃん吊り下げられっぱなし。
せめて真ん中ならそういう演出?って思うけど既に端に寄せられている。
母上とのやり取りはすぐ緞帳前にして、すぐ下ろせばいいのでは。
三銃士の馬のシーンといい、海底のシーンといい、
「ふーん、カナダでこういうの観たんだ」って感じだった。
でもどちらの演出も、演出自体がすごい!新しい!とかではなくて
「アイディア」レベルのもの。
入れる必要はないし、馬に乗せなくてもかっこいい出陣の演出の仕方があることを、
とくに宝塚を観る人は皆十分知っている。
海底のシーンは本当に蛇足。なんでコミカルにする必要があったんだろう。
彼らの初心、命を懸けて仕える国王を取り戻すための戦いに赴く途中なのに。
そして、全編通して、要らないシーンに限って進行がもったりしており長い。
仮面の男が終わった段階で、3時間経ったんじゃないかと思えるほど。
監獄のナンバーに象徴される、センスの欠如が本当に辛い公演でした。
でしたっていうか、まだ2日目が終わったばかりですが。
カナダで何を観てきたんだろう…。ああいう演出がカナダの人が受けていたとして、
そのまま日本に持ってくるのは演出家の仕事じゃない。
小池先生がロミジュリ「憎しみ」のナンバーを何故、「もっと憎しみ合え!」から
「もう憎しみ合うのはやめて!」というナンバーにしたのか。
再演ばかりは良くない、縮小再生産は滅びへの道です。
真ん中のジェンヌにしか役や台詞を振れないのはダメだと思っていたけど
・新作オリジナル
・台詞、歌がかなり広範囲のジェンヌに渡って振られている
この2点も満たしていても、作品の根底に流れるセンスに共感できなければ
お芝居は壊れてしまう。
このことがよく分かりました。
ほんと最後の最後に言うけどさ、一人二役にする意味って何だったんだろう。
ルイーズ@みみちゃんはもっと恋人の敵と同じ顔の男に魅かれることに
戸惑いを憶えてほしいとか、あるけど。
それ以前の問題でした。
いいとこ探し。
王は全てお見通しのナンバー。曲もいいし、雪組生揃いっぷりが不気味な圧政下のパリをよく表してた。
全体を通じて、曲の印象は目新しくていいなと思いました。
ラウルの遺書のナンバー。翔ちゃん@ラウル、歌うまくないけど
(でもマチネよりソワレは良かった)、まっつ@アトス兄さんに寄せる
親愛の情が丁寧に伝えられて、いいなあと思った。
理不尽な死を目前にした弟が「身体に気をつけて」「貴方が父であり母だった」なんて、
駆け足で言うのはすごく泣かす。
翔ちゃんの株が上がった。し、きっとまっつの力もあってのことかな。
いい若手の使い方だと思う。
ちぎちゃん@ダルタニアンの真面目なお芝居。コンスタンスとのナンバーを
丁寧に心情を掬って表現してくれたから、最後の戦いが活きた。
キタロウさんとちぎちゃんの絡みは商売になるね!と踏まれたのか分からないけど
二人のシーンはキャラの対比が良かったなあ。
ああジェンヌの個人賞が殆どになってしまう。
ヒメ@ミレディはハマりすぎてておっかないです。
どなたかが言ってた、仮面の男の吹き替え担当のまなはるは
(当然)顔が出ていないのに顔芸がすごい、っていうのに納得して笑った。
間近で観たリサリサの貴婦人がすごく綺麗で、かつ可愛くって感動した。
緑のドレスがよくお似合い。
今後の雪組の課題は「駄作を力づくででも観たいと思わせる作品へと
ブラッシュアップしてしまう勢い・力」が欲しいなってことでしょうか。
外部ならともかく、必要になってしまう力かも。
書いてすっきりできました。
安心のロイヤルストレートフラッシュについては近日中に。
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